弱者の常識・強者の非常識-歴史とルール

トレード雑記第64弾、

 

弱者の常識・強者の非常識-歴史とルール

前回(マイノリティの自覚を持つ)に引き続き、小難しいテーマ。

 

そして、久しぶりの「弱者の常識・強者の非常識」です。

 

小難しいけれど、このことは理解しておいて損のない話(だと思う)。

既知の方は、適当に読み飛ばしてくださるとうれしいです。

 

さて、あらためまして、本日のテーマは、

-歴史とルール-

 

この二つの共通点は、

強者が「作るもの」「創るもの」であり、

弱者は「従うもの」「学ぶもの」だということ。

 

まずは“ルール”から。

 

わかりやすいのはスポーツのルール変更。

 

柔道の道着の色や素材が変更になったりしたことは有名。

色(白だと見分けがつかないので青)はまだわかりやすいけれど、

素材が変わって組手を掴みにくくなった。

 

つまり、投げにくくなったわけ。

 

当然、組んで1本勝ちを狙う従来の日本の柔道には不利な状況になって、

一時期の低迷を招いた、とも言われている。

 

他にも、冬季五輪の「ノルディック複合」(スキージャンプとクロスカントリー)とかも、

ある時期に荻原健司さんとかが大活躍したけれど、パタッと活躍が途絶えた。

 

なんでもスキー板の長さ(長い方が遠くへ飛べて有利)を、

それまでの全選手一律の基準から、選手の身長×〇〇へとルール変更になったんだとか。

 

当然、身長の高い人たちが有利になる、というお話。

 

なかには欧米の陰謀論(日本が強くなったからルール変更)みたいな話もあるけれど、

いずれにしてもルールを作る側と従う側の違いがよくわかる事例として有名なやつ。

 

強者こそが歴史

歴史もだいたい同じ。

 

強者の書物や伝聞が後世に残るので、

負けた側、滅びた側は「必要以上に」悪く語られたりする。

 

たとえば、

ローマ皇帝ネロや織田信長。

 

ネロは、「暴君ネロ」というあだ名があるし、

織田信長も神仏を恐れぬ残虐非道な人物、みたいな人物評があったりする。

 

いずれも真相は定かではないけれど、

共通点として「宗教組織」と対立した事実がよく知られている。

 

ネロはキリスト教と、

織田信長は比叡山延暦寺や石山本願寺などと対立していたのは有名で、

その結果、必要以上に悪者に仕立て上げられた、というお話。

 

さすがにネロの話は古すぎるし、ピンとこないと思うので、

織田信長を例に少し深掘りします。

 

もちろん諸説あるし、信長アゲの書物もあれば信長サゲの書物もあるので、

そのあたりはご理解いただいたうえで、こういう説もあるよ、というお話。

 

織田信長は神仏が大嫌い!?

一番わかりやすい信長のイメージは、

神仏を恐れぬ・・・、だと思います。

 

現実主義、実利主義の信長が、宗教に救いを求める人たちと合わない、

というのはなんとなく理解できそうなところ。

 

だけど、実は、信長は、神仏大好きです。 (← わたし調べw)

 

だって、歴史上知らない人はいない織田信長の最期の場所「本能寺」。

 

お寺ですよ。

 

大嫌い、さらには忌み嫌う存在として排除・敵対していた、

のであれば、なぜお寺に駐屯、宿泊する必要があったのか・・・。

 

そのあたりが腑に落ちない感じ。

 

実のところ、当時の寺社仏閣には、

現代のお寺や神社のイメージとは異なる機能を持っていたとか。

 

たとえば「僧兵」の存在。

 

なんで僧侶が兵隊なの、という感覚ですが、

当時は武士の社会だけど、町民や農民にも腕っぷしの強い人はいるわけで、

ある意味では社会生活に馴染めない荒くれ者、はみだし者みたいな人たちが、

行き場を失って行き着く先のひとつの場所がお寺だったりする。

 

なんなら「やんちゃ」な子どもをお寺で面倒みてもらう、

みたいなこともあったらしい。

 

そんな感じで、自警団、チン〇ラ、ゴロ〇キ、愚連隊、・・・、

みたいな集団が出来上がっていくわけですね。

 

ちなみにこの現象は、日本だけの話ではなくて、

中世ヨーロッパでも同じように、貴族社会に馴染めない人たちが、

貴族社会とは別系統の影響力がある教会や大聖堂などに救いを求めて集まってきたり。

 

そのことを英語で、Sanctuary(サンクチュアリ、聖域)。

 

意味するところは、

当時の法律(貴族の決まり、武士の決まり)が及ばない場所、保護区、

犯罪者などの隠れ家、逃げ込み場所、など。

 

少し話を逸れると、

だから先日、某野党の派閥(グループと表現するみたい)の名称に、

サンクチュアリが使用されていてめちゃくちゃビックリしたわけですよ。

(だってどう解釈してもそういう意味なんだから・・・)

 

さて、話を戻すと、

もうひとつ、当時の寺社は金融(金貸し)で潤っていた事実があったりする。

 

お布施を元手に町民たちにお金を貸し付けていたらしいし、

取り立てには例の屈強な僧兵さんたちが天職とばかりにw

 

武家なんかも借りていたようで、

当時の証文とかもたくさん残っていたりする。

 

みたいな状況で、寺社の一部は、

資金はあるは、兵隊はいるは、という一大勢力を築いていたわけで、

そこと織田信長が敵対することになった、という感じ。

 

信長と敵対する寺社仏閣にとってみれば、

信長を「神仏を恐れぬ残虐非道な存在」として評するのは、

当然の歴史だといえる。

 

信長は神社で「必勝祈願」とかもしていたらしいけれど、

そのあたりの話が伝わることは、あまりないし。

 

ちなみに現代でも「本能寺の変」黒幕説は、いろいろと語り継がれているけれど、

そのひとつに寺社仏閣(単独かどうかは謎)の勢力が、あったとかなかったとか。

 

相場のルール

相場もまた、歴史があって、ルールがある。

 

そして、たとえば、

「取引時間30分延長」とか、「市場再分割」とか、「金融所得増税」とか、

ルール変更が指摘されていたりする。

 

このルール変更で、

投資家や企業などプレイヤーにどのような変化があるのか、

それはまだわからないけれど。

 

いずれにしても、

ルールを作る側が圧倒的な強者であるという事実は、

事実としてしっかり理解しておく必要があると思う。

 


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2件のコメント

  • >わかりやすいのはスポーツのルール変更。
    柔道、ノルディックスキーのほかにも、F1のレギュレーションへんこうで
    ホンダが勝てなくなりましたよね・・・
    その後地上波からもF1の放送が消え、当時かなり腹立たしく思った記憶が
    あります。
    スポーツのルール変更は、そのスポーツそのものの衰退に
    拍車をかける気がしてなりません。
    いずれにせよ、弱者はなすすべ無しって感じですかね・・・
    ただ、相場に関してはなすすべ無しでは話になりませんので、
    何とか食らいついていきたいです!
    私も今日までスポット仕事が入っていて、結局株の勉強はあまりできませんでしたw
    (仕事を頂くのはありがたいですが、正直相場の利益だけで生活したいです)
    すうさんも最近お忙しい様子ですので、お互い体調管理に気をつけましょう!
    毎日の更新お疲れさまでした。
    明日からまた頑張りましょう!!!

    • そうですね、F1も・・・。
      HONDAも今年で撤退、
      本田宗一郎とアイルトン・セナの笑顔、懐かしいですね。

      感傷的になっちゃいそうですが、
      明日以降、相場の利益「だけ」で生活できるように、
      お互い、頑張りたいですね!!!

1件のピンバック

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