イグジットの大切さ-終戦の日に想う

トレード雑記第27弾、

 

イグジットの大切さ-終戦の日に想う

40代以上の人なら子どもの頃に一度は聞いたことがあると思う。

 

「あの悲惨な戦争を二度と繰り返してはならない」

 

当時はよくわからなくても、

今から思うと実体験に基づく強烈なメッセージだったと思う。

 

同時に、最近はあまり聞くこともなくなったメッセージでもある。

それは「本当の意味で」戦争を知る世代の多くがすでに鬼籍に入っていることが大きい。

 

ここでの戦争は「第二次世界大戦」のことで、

1945年の終戦時に5~10歳くらいだった人は、現在80代でお元気な人も多い。

 

本当の意味でとあえて書き足しているのは、

戦争がどのように始まって、どのように終わったのか、

そのとき国家や市町村、企業(職場)や家庭で何が話し合われていたのか、

「戦前」「戦中」「戦後」でどのような変化があったのか、

このあたりを理解しようと思うと、終戦時に少なくとも30歳前後、

現在106歳くらいの人たちでないとわからないと思う。

 

さらに、当時指導的な役割を担っていた世代と考えられる40~50代だと、

120歳とかそれ以上になるので、ご存命の方はいらっしゃるだろうけどそう多くはない。

 

実際に体験された世代と、聞いただけの世代では、

どうしてもそのメッセージに込められた力は異なるのは仕方がない。

 

ちなみに、戦争が悲惨なのは、

「物質的な貧困」とともに「精神的な貧困」に陥るからで、

外見を見て瞬時にわからない分、精神の貧困の方が恐ろしいともいえる。

 

精神の貧困は、

①国家にとって都合の良い情報統制がおこなわれる

②偏った情報に基づく教育がおこなわれる

③視野が狭くなり時計の針が止まる

ことによって起きる戦争の特徴のひとつ。

 

自国が全知全能で正義の使者であるかのように、

他国を鬼畜で絶対的な悪であるかのように、

情報をコントロールして、その情報のアップデートはおこなわれない。

 

自覚のないまま精神の貧困状態に陥ってしまう。

 

この精神の貧困を題材とした小説や漫画は定期的に流行するタイムトラベルもので、

登山中に道に迷って足を踏み外して転落、気がついたら戦時中の村にいた、みたいなやつ。

 

現代の知識・常識がある主人公と、

戦時中の知識・常識に則って行動する当時の人たちとのやりとりは、

小説や漫画だから笑えるんだけど、というやつですね。

 

そして戦争が終わることで、一気に時計の針が動きだすイメージ。

 

これは日本に限った話ではなく、

だいたいの戦争における古今東西、万国共通の特徴ともいえる。

 

残念ながら、現在でも世界中の国家や地域において戦争や紛争が繰り広げられているけれど、

日本に在住している人にとって、

最も精度の高い情報が入ってくるのは地理的にお隣にある朝鮮半島の動向だと思う。

 

いわゆる朝鮮戦争は1953年に休戦協定が締結して以降、

休戦状態にあるけれど、2021年8月15日現在、終戦には至っていない。

 

そういう意味で、北朝鮮や韓国の報道をみると、さきほど記述した戦争の特徴である、

物質的な貧困、精神的な貧困に相当すると思われる発言や行動が随所にみられる。

 

国交がないから正確な情報はわからないけれど、

時折みられる北朝鮮の報道には戦時中の雰囲気が色濃く出ていると思う。

 

韓国についても、たとえば東京五輪に関連した報道のなかには、

2021年を生きる日本国民には理解不能のものも多かったと思うけれど、

それが戦時中の発言だと捉えると、理解できないということは理解できるかもしれない。

 

念のためにお断りしておくと、ここで書きたいのは、

「東アジアの将来と平和について」みたいな大きな話でもないし、

特定の国家に対してその国民性や民族、宗教などを卑しめる「ヘイト」に組したいわけでもない。

 

あくまでも終戦の日である本日、8月15日に、

戦争は悲惨だということをあらためて考えさせられたというお話です。

 

ちなみに、日本では8月15日が終戦の日として一般的だけど、

欧米では9月2日(実際に調印が行われた日)を「対日戦勝記念日」としている国家も多いですし、

同じ戦争でも別の国家の視点で考えるとまた違ったものがみえてくるかもしれません。

 

イグジットの大切さ

終戦の日ということで、やや感傷的で重たい話になっちゃったけど、

トレードにおいても「どう手仕舞いするか。」は最重要課題のひとつだと思う。

 

最も小さい次元でいうと、一つひとつの個別のトレードをどう手仕舞いするか。

 

エントリー後の含み益や含み損を見て、最終的に利確となるのか損切りとなるのか、

そこにはイグジットの決断がものを言うことは間違いない。

 

前述の精神の貧困ではないけれど、

含み損を抱えながら、都合のいい情報のみを鵜呑みにし、

こじつけのようなテクニカルを駆使したうえに、

周りが見えなくなり、結果的に自棄になってド底切りすると、・・・、

いきなり時計の針が動き出したかのように周りが見えてくるんですよねw

 

また、スイングや長期投資なども含めて、

大きな含み損を抱えたポジションをどうイグジットするかもツラい決断である場合が多い。

 

もっと極端に言うと、1億円稼いでも1億円失えばスッカラカンで元通りになるわけで、

株式投資・トレードをいつまで続けるか、という大きな課題でもある。

 

たまに聞く話のひとつとして、

一番儲かっている人は「すでに亡くなっている人」というネタがあるけれど、

自分自身がその立場になる可能性もゼロではない。

 

この世界にエントリーした以上、

どうイグジットするかは考えておいて損はないと思う。

 


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