視点を変えたら景色が変わる

トレード雑記第129弾、

 

視点を変えたら景色が変わる

本日のブログの主役は・・・、

三国志が好きな人にとってはお馴染み(?)の皇甫嵩(こうほすう)。

 

個人的な見解100%だけれど、

いわゆる「三国志被害者の会」の筆頭格だと勝手に思っている将軍。

 

「三国志被害者の会」というと、

「演義被害者の会」、「孔明被害者の会」などと呼ばれたりして、

蜀の丞相・諸葛亮孔明の活躍を描くために相対的に小物として扱われた、

赤壁の戦い前後の周瑜、魯粛など呉の名将たち、

北伐で相対した魏の曹真(ラスボス司馬懿の引き立て役)などが代表的。

 

とはいえ、そもそも三国志の世界は、

漢(後漢)末期の混乱期からスタートするわけで、

曹操や劉備の活躍ををカッコよく描くためにも、

「後漢」の人たちは酷い描かれ方だったりします。

 

そういう意味では「三国志被害者の会」は、

後漢末期の武将たちが多くなってもおかしくなくて、

新しい時代の引き立て役として強調されている感じ。

 

たとえば、劉備の先生として登場する盧植は、

ひょろひょろの学者ではなく、将軍として活躍した文武両道の凄い人です。

 

そして、今回の主役である皇甫嵩将軍は、

横柄で乱暴、戦下手のくせに劉備たち義勇軍を馬鹿にする、

みたいな小人物として描かれていることがもっぱらだったりします。

 

とはいえ、後世にまで名前の残る名将であったことは間違いなく、

唐代(782年)に選出された中国史を代表する名将「武廟六十四将」

という64名の武将に選ばれています。

 

他に選出されている顔ぶれを見ても、有名な将軍ばかりです。

(なお皇帝や王など君主は一人も選出されておらず、あくまで武将)

 

三国志の時代でみると、

魏からは、張遼、鄧艾(とうがい。蜀を降伏させた将軍)、

呉からは、周瑜、呂蒙、陸遜、陸抗、

蜀からは、関羽、張飛、

の計8名が選出されています。

(魏と呉を滅ぼし三国を平定した晋の将軍を除く)

 

言い換えると、たった8名しか選出されていないわけで、

同列・同格の扱いで皇甫嵩将軍が選出されていることからも、

実はものすごく功績があったことがわかります。

 

ちなみに、キングダムの時代でみると、

秦からは王翦(おうせん)の1名のみ、

趙から趙奢(ちょうしゃ)、廉頗(れんぱ)、李牧の3名が選出。

(戦国七雄の他の五国からの選出武将は見当たらない感じ)

 

現存する史料は多くないと思うけれど、

皇甫嵩将軍は「黄巾の乱」や異民族の討伐などで功績をあげたわけです。

 

また、主君(皇帝である霊帝、少帝(弁王子)、献帝(協王子))が暗愚のため、

皇甫嵩自らが皇帝になるべきだという推薦を受ける程度に人望もあったようです。

(実際にはその推薦を却下していますが)

 

そういう意味でも皇甫嵩将軍は、

滅びゆく後漢のなかで、大きな実績を残した名将だったといえそうです。

 

ちなみにアイキャッチ画像は、

太公望(たいこうぼう。呂尚ともいう)。

 

なぜ太公望にしたかというと、

今回のブログネタの「武廟六十四将」は、

760年に唐の皇帝・粛宗が、太公望を武成王に追贈し、

武成王廟(武廟)を建立したことが起点になっているからです。

 

余談ですが、760年に「武廟十哲」選出、

そして782年に今回紹介の「武廟六十四将」が選出されています。

 

「武廟十哲」の選出は、たった10人ですので列記すると、

兵法家として名高い孫武(孫子)、呉起(呉子)、司馬穰苴(司馬法)、

神がかり的な戦の大天才として楽毅、白起、韓信、

軍師の代名詞となっている張良、諸葛亮に、

唐代の李靖(りせい)と李勣(りせき)を加えた10名です。

 

たしかに、ちょっと別格というか別次元の人たちですよね。

 

さて、あらためて本日のブログタイトル。

 

“視点を変えたら景色が変える”

 

当たり前のことを当たり前に書いてドヤ顔する感じですが、

まさにこういうことなんだよなぁと感じたのが皇甫嵩将軍。

 

「三国志」に光を当てるために「後漢末期」を深い闇として描く、

というのは手法として別段間違っているわけではないと思います。

 

日本でも最近まで織田信長アゲ、今川義元や明智光秀サゲは一般的でしたし、

源氏と平氏、忠臣蔵、新選組などなど、視点を変えると景色はガラッと変わりそう。

 

加えて、そこに好き嫌いや、共感する・しない、支持する・しないなど、

受け手の感情を含めると、より複雑でまったく異なる景色が広がっていても、

不思議ではない気がします。

 

この「視点を変える」というのは、

物事の全体像を俯瞰的に捉えるためにも、

すごく大切な考え方のひとつだと思います。

 

せっかくなので現代史についても

一時期Twitterが荒れていた感じでしたが、

先日もウクライナ大使館のツイートらしきもので、

ヒトラー(ドイツ)、ムッソリーニ(イタリア)、昭和天皇(日本)を、

並べて非難する投稿がありました。

 

第二次世界大戦の代表的な敗戦国として、

いまだに悪者の国家としての扱いを受けているわけですが・・・。

 

こういう話も、まさに視点の違いなんだと感じます。

 

ちなみに、ロシアはウクライナのことをナチス、ヒトラーと蔑称し、

ウクライナはロシアのことをナチス、ヒトラーと蔑称しています。

 

両国いずれにもそれぞれの主張があるんだと思います。

 

とはいえ、一応、歴史を紐解くと、

第二次世界大戦で直接ナチス・ドイツと戦争をしたのが旧ソ連(ロシア)、

悪名高いホロコーストを解放したのは旧ソ連、

ドイツの降伏(1945年5月9日)という意味では大戦を終結させたのも旧ソ連、

そして、その代償として戦死者数が桁違いに多かったのも旧ソ連。

 

この部分はわたしの推測だけど、

戦後、米ソの冷戦などを経て現在に至るまで、

“大戦で最も大きな犠牲を払って世界の平和に貢献したのに、

世界の覇権は実質アメリカ一強となったやるせなさ”

みたいな感情があるのかもしれない・・・、思ったりもします。

 

あと、こちらについても微妙な事実ではあるけれど、

当時のナチス・ドイツを一時的にではあれ支援していたのがウクライナだったりします。

 

失礼な書き方だけど、東欧の小国として、

あっちについたり、こっちについたり・・・。

 

そういう視点からみると、

ウクライナがロシアをナチス扱いすることにイマイチしっくりこなかったりします。

 

こういう書き方をすると、

お前はロシアを支持するのか、みたいなクレームがきそうだけど、

わたしは一貫して、ロシアもウクライナも支持しない、というか、

「わからない」という立場です。

 

“視点を変えたら景色が変わる”の例として出しただけです。

 

そして、いまだにナチスのことを言われ続けるドイツの人たちは、

この扱いをどういう風に感じているんだろう、とも感じています。

 

最近はそうでもないけれど、2000年以前の漫画とかだと、

イギリス≒騎士、フランス≒貴族、ドイツ≒軍人、

みたいなイメージのキャラ設定が多かったようなw

 

エスニック・ジョークなんかは、それで成り立つんだけど。

 

それぞれの視点から、それぞれの物事を俯瞰するというのは、

口で言うほど簡単ではないけれど、すごく大切なんだと思う。

 

株価についても「上昇目線」の人と「下落目線」の人とが存在することで、

売買が成立しますので、いろいろと視点を変えて検討するのも大切かもしれません。

 

といったところで本日のブログは手仕舞い。

 

追記。

ブログを投稿すると、カレンダーが青色に変化する機能をみて、

「繋げたい!」というどうしようもなくしょ~もない理由から、

次回のブログ更新は5月30日に公開予定ですw

 


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2件のコメント

  • 更新、お疲れ様です。
    これはトレードにも言えることですよね。
    自分が買うときにはそれを売っている人がいる・・・
    まさに真逆のことをやっていて、
    正しい見方や考え方が大勢だったほうに
    利益が残り、もう一方は損失を被る。
    いや~本当に奥が深い世界です、
    トレードもw
    (今更ですが、活字を目にすることで、
     改めて感じています)

    • お疲れ様でした。
      どうしても片一方の、
      それも自分が信じたいと思う視点で固定しちゃいがちw

      少し相場から離れてみると、
      よりそのことがわかるような気がしてきました。

      アラフィフさんは着実な勝利&検証、おめでとうございます!
      明日も利益がたくさん乗りますように!!!

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