本能寺の変「〇〇黒幕説」を考える!?
トレード雑記第309弾、
本能寺の変「〇〇黒幕説」を考える!?
日本史上最大のミステリーのひとつ、本能寺の変について、
浅~くゆる~く考えをつらつらと書くだけのネタブログです。
歴史学者による深遠な考証ではありません、あしからず。
武田家を滅ぼした約3か月後、
天下を目前とした織田信長の生涯が閉じられた本能寺の変。
1582年6月の出来事です。
無数に存在する黒幕候補たち
今でも新説が誕生し続ける「本能寺の変」ですが、
代表的な黒幕候補たちがこちらとなります。
明智光秀・・・実行犯、軽んじられた積年の恨み
羽柴秀吉・・・信長死去で得をした人(その1)
徳川家康・・・同その2
足利義昭・・・信長包囲網の中心人物、京を追放された恨み
長宗我部元親・信長の四国侵攻に対して先手を打った
さらには、
朝廷・・・・・田舎大名の信長と価値観が合わない
一向宗など・・宗教的対立、弾圧の恨みがあった
有力商人・・・京や堺の豪商たち、理由は朝廷と類似
イエズス会・・信長が日本侵攻の邪魔者だったから
さらにもう一声、
織田信忠・・・信長の嫡男、父親への反乱
織田信長・・・家康を排除するために信長自身が仕組んだ
などなど。
ここで紹介した以外にも、
たくさんの黒幕候補たちがいるようです。
ちなみに、最初に紹介した光秀、
最後に紹介した信忠、信長など、
結局のところ「真の黒幕」に利用された・・・、
みたいな謎が謎を呼ぶ展開も少なくありません。
ほかにも、
実は実行犯は光秀ではなかった、
みたいな説もあったりします。
歴史を俯瞰してみると・・・
そして、どの説についても、
それっぽい考察が可能になります。
一方で、どの説についても、
「帯に短したすきに長し」みたいなところがあります。
だから語り継がれるわけですが。
こういったミステリー、犯人さがしを、すこし俯瞰的にみると、
有力な勢力が滅亡するときの条件があったりします。
それは、敵対勢力と一対一に敗れて華々しく散ったというより、
諸勢力との関係悪化もあって四面楚歌のなか滅亡、という展開。
たとえば、
本能寺の変の実行犯と言われる明智光秀は、
せっかく信長を討ち取ったにもかかわらず、
その後にうまく畿内(近畿地方)を掌握できず、
秀吉に討たれることになります。
細川藤孝、筒井順慶など味方になってくれる想定の大名に、
相手にされなかった、そっぽを向かれた、という状況です。
また、本能寺の変の数か月前の武田家滅亡にしても、
最終的に武田勝頼は、上杉とはもちろん北条とも仲違い、
徳川や織田に侵攻されて家臣の掌握も上手くいかず、孤立。
みたいな感じ。
要するに、
誰が黒幕なんだ!?
という問いかけより、
周りは全部「敵」だったんじゃない!?
といった感覚。
実際に、織田信長に対しては、
第一次、第二次と「信長包囲網」と表現されるように、
周辺を敵対勢力に囲まれた時期があったようです。
本能寺の変も、もしかすると、
なんとな~く、信長包囲網の、
延長線上に発生した出来事!?
ということも考えられるのではないでしょうか。
前述した黒幕候補たちの「その多くが」信長について、
あまり良い感情を抱いてはおらず、それぞれの立場から、
積極的、消極的な行動によって、本能寺の変に繋がった、という感じ。
ひとりの黒幕がいて、裏で光秀を操って・・・、
みたいな展開よりも、複数の登場人物の利害が一致した、
と考える方が、なんとなく自然な気がしています。
アガサ・クリスティーの推理小説のような感覚です。
そういう意味でも、
本日のブログタイトルは、
「~「〇〇黒幕」を考える!?」ではなくて、
「~「〇〇黒幕説」を考える!?」が適当だと感じます。
といったところで、本日のブログは手仕舞い。