慶応の「応援」は問題ないよ、ただ「迷惑行為」がダメなだけ

トレード雑記第311弾、

 

慶応の「応援」は問題ないよ、ただ「迷惑行為」がダメなだけ

流行に乗っかる時事ネタの小話。

 

今年の高校野球(甲子園)決勝戦、

慶応vs仙台育英における慶応の「応援」に賛否があるみたい。

 

わたしの結論はタイトルそのまんまだけど、

慶応の「応援」は、何ひとつ問題がない。

 

定められたエリアで、定められた内容の行為をしていただけだから。

 

一方で、いろいろと言われているように、

外野席(両校の応援スタンドではない場所)においても、

前列の自称応援の人が「立ち上がり」「肩を組んで」「大声で歌を歌う」行為が散見された。

 

この行為は、

わたしの基準だと「応援ではない」

ただの迷惑行為。

 

だからもちろん問題でしかない。

 

後ろで座って観戦したい人にとっては邪魔でしかない。

 

場内アナウンスでも、

他のお客さんの迷惑にならないように、

立ち上がらないように注意喚起があったみたいだけど、

そういった注意を無視した結果の、ああいう状況。

 

この手の話題は、いつもそうだけど、

「応援」という表現が意味するところが、

賛成・肯定側、反対・否定側でその概念や行動が異なるわけ。

 

だから、応援は応援でOK、

そうではない行為、わたしの表現だと「迷惑行為」は応援ではないのでNG、

そうすれば議論にすらならない、と思う。

 

当たり前だけど、

声が大きいかどうかは客観的基準ではないし、

会場が片方の応援一色で不公平だ、みたいな話も、議論の本質からズレる。

 

大きな応援が力を後押ししてくれることもあるだろうし、

それが相手校にプレッシャーと感じることもあるのは当たり前。

 

そういうのは、それこそ仙台育英など強豪校では統率された応援はよく見られるし、

ゲーム展開や対戦校のストーリー性によってはその強豪校が敵役になることも少なくない。

 

たとえば、今大会の仙台育英や、

近年の大阪桐蔭は、ときに主役、ときに敵役となったりする。

 

だからこそ、

大切なのは、

次のとおり。

 

ルールに則った行為が応援であり、

ルールに則らない行為は応援ではない。

 

それだけ。

 

大人が高校生の足を引っ張ってはいけない。

 

ちなみに、

グラウンドにいた慶応の選手、監督は素晴らしい野球をしていたと思う。

 

間違いなく今大会の主役だったと思うし、

次大会に関しては主役あるいは敵役として、

最も注目を集める学校のひとつとなるはず。

 

追記。

甲子園から神奈川に帰った際に、

高校で記者会見やパレード等をせずに、

「新横浜駅で解散!」というのが、

すごく慶応らしくていいなぁと感じました。

 

といったところで、本日のブログは手仕舞い。

 

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