誤審とホームアドバンテージ
トレード雑記第453弾、
誤審とホームアドバンテージ
現在開催されているパリ五輪で注目されている話題がこれ。
あまり長々と書くつもりはないし、
結論もはっきりしているので、サクッと書く予定です。
まずは結論。
「誤審」と「ホームアドバンテージ」は、
万国共通、当たり前のように存在します。
それについて、
「(人種)差別だ!」
「審判のレベルが低い!」
「審判を買収しているんじゃないか!」
と声高に叫ぶことは・・・、
見聞きするけれど、
まぁよくあること、
というのが率直な感想になります。
嫌なら観なければいいし、
わたし自身、実際に観なくなったスポーツも多々あります。
個別に考えると、まずは、
「ホームアドバンテージ」から。
特に国際大会だと、
移動距離の長短(時差の有無)、
言語や食事、気候など文化的社会的条件、
スタジアム・競技場の使用経験や下調べなど準備、
観客・ファンの熱気、雰囲気、などなど、
自国開催とアウェーでは天地の差が出ます。
パリ五輪では「多様性」の名のもとの、
よくわからない仕様が、なんとなく宗教や人種、
性別など、ある種の価値観が表現されていることは間違いないので、
別の価値観を持つ人たちにとっては虐げられたと感じることもあるかと。
安直に「アジア人差別だ!」と言いたいわけではないけれど、
そう言いたくなるような気持ちがわからないでもないですから。
とはいえ、
東京五輪では日本選手団が躍動しましたし、
コ〇ナという特殊な環境下だったとはいえ、
そこにホームアドバンテージがなかったわけではないはず。
(実際、他国から日本に有利な判定など指摘されていたし)
続いて、「誤審」について。
似たような論点(≒なんとなく開催国に有利な判定)もありますが、
よりわかりやすいのは、①審判の技量、②映像技術の進化、の2点。
審判の技量は、
相対的に選手より技量が劣る審判がジャッジしているから。
たとえば、小学生の大会でしか審判をしたことがない人が、
大学生の大会の審判をすれば、ゲームについていけず適切なジャッジができるか怪しい。
差別ではなくて区別だけど、
女性の大会でしか審判をしたことがない人が、
男性の大会で審判をすれば、同様のミスジャッジが起こり得る可能性が高い。
そういうものだと思う。
ちなみに、
上記の表現は、
われながら適切だと感じていて、
審判の性別には言及していない。
「女性審判が~」みたいな話ではないわけ。
一般論として、
小学生<中学生<高校生<大学生<社会人<プロ、
でレベルが上がるし、
同じ競技であれば、こちらも一般論として、
女性<男性、でレベルが上がるのは当たり前。
普段、中学生の試合を担当している審判が、
小学生の試合の審判は対応できそうだけど、高校生の試合への対応は大変そう、
というのと同じ。
女性の試合の審判に女性が多く、男性の試合の審判に男性が多い状況で、
こういう世界最高峰の大会で男性の試合の審判に女性を配置することが、
そもそも審判の技量を軽視している、と言っているわけです。
もうひとつのポイントは、
圧倒的に「誤審を生じさせている理由」ですが、
映像技術が進化していてスロー再生すると厳密なジャッジが出来てしまうから。
要するに、
これまでだと「流されていた」(≒気づかなかった)判定ミスが、
スロー再生の映像技術により誰の目にも明らかになってしまうから。
そして繰り返し映像が流されて、
審判への批判が巻き起こるわけ。
ある意味で、審判に同情してしまう状況になっている。
誤審はない方がいい、のは当然だけど、
人間がやる以上、誤審ゼロの審判は絶対に不可能。
ミスをしない選手がいないのと同じで、
ミスをしない審判もいない。
明確な誤審映像を根拠に、
審判を糾弾することは気持ちいいかもしれないけれど、
それで競技のレベルが上がった話は、あんまり聞いたことがない。
そのあたりは視聴者側のリテラシーかもしれないけれど、
選手のミスを糾弾する人は、審判のミスも糾弾している感じ。
いつもながら、表現や論調が、大げさすぎなところがあって、
そういうメディアのテクニック(≒派手な見出し、センセーショナルな表現など)を、
一般人が真似しなくてもいいような気がします。
もっとおおらかな気持ちで観戦できれば。
といったところで、本日のブログは手仕舞い。