「55年体制」から「25年体制」へ!?

トレード雑記第604弾、
「55年体制」から「25年体制」へ!?
最近の政治関連の報道やSNS等が荒ぶっているところを見聞きしながら、
先日の参政党関連のブログを公開したところ、いくつか反応があったので、
週末にいろいろとまとめたのが今回のブログ。
取り上げるテーマが「政治」ということもあって、
複雑怪奇、魑魅魍魎の世界が広がっているわけですが、
まぁ素人のざっくりとした文章だと割り切って楽しんでいただけると幸いです。
内容を目次風に書くとこんな感じ。
1.「55年体制」の成立と終焉
2.行き場を失った中道右派の再集結はどこに?
3.政治報道におけるメディアのあり方
1.「55年体制」の成立と終焉
「55年体制」とは、
1955年(昭和30年)に始まったと言われる政治体制のこと。
なお、最初に書かないといけないことですが、
今回のテーマ「政治」に関しては、馴染みのない用語が頻出で、
解釈も多義的になってしまうので、適宜、気になる方はご自身でファクトチェックしてください。
55年体制をざっくりと書くと、
いわゆる「リベラル」を掲げる政党「日本社会党」が、
サンフランシスコ講和条約を巡って分裂していたのが、1955年に統一を図った「社会党再統一」が契機。
再統一された日本社会党に対抗するために、同じく1955年に、
いわゆる「保守」の政党だった「自由党」と「日本民主党」が「保守合同」して、
新しく「自由民主党」が誕生したことで始まる自民党と社会党の「二大政党制」が55年体制の始まり。
実際のところ二大政党制というよりは、
自民党が一時期を除いて長らく与党であり、社会党は野党第一党であったという政治体制。
こうして1955年に始まる55年体制は、
戦後復興、経済成長を経て「経済大国日本」を支え、平成まで続きました。
終焉は、
1993年(平成5年)の総選挙(衆議院選挙)で、
自民党が過半数割れ、社会党も議席を減らし、「新生党」「日本新党」「新党さきがけ」などが躍進。
非自民連立政権として細川護熙総理が誕生したことで55年体制は終焉を迎えました。
とはいえ、
細川内閣総辞職から「新生党」の羽田孜総理による連立政権、
「自社さ連立政権」(1994-1998)として日本社会党から初の総理、村山富市総理、
さらには記憶に新しい「民主党政権」(2009-2012)では3名の総理が誕生しましたが、
上記の期間以外においては、基本的に自民党が与党として政権運営を担っています。
自民党政権がここまで長期間継続できた要因を簡単に書くと、
①清濁併せ持つ現実路線
②左派から右派まで幅広い思想を掲げる政策集団(≒派閥)による集団統治体制
の2点が考えられます。
①は、あまりにもシンプルで、
「脳内お花畑」と揶揄されることもある理想論のみでは政治は成立しません。
良くも悪くも「曖昧さ」を含みながら、
最高ではないけれど、次善の状況を模索しながら現実的な政策をするというもの。
②は、批判の的に晒され続けている、いわゆる「派閥政治」。
(表現に語弊があるかもですが)全盛期の自民党は、
党内で右派の派閥、左派の派閥がそれぞれ複数存在しており、
互いにけん制し合いつつ、①の現実的な路線を進んできた印象。
派閥という用語だけで嫌悪感を抱く人もいるみたいですが、
集団自体は、一般的な会社や学校でも存在する「〇〇委員会」「〇〇班」、
あるいは昼食を一緒に食べる「仲良しグループ」みたいなものに似ています。
平成の中盤から終わり頃にかけての「派閥=悪」というキャンペーンによって、
「派閥解体からの自民党弱体化」という流れが出来上がったように感じます。
近年では、
記憶に新しい安倍元総理の暗殺から旧安倍派(党内右派)はバラバラに。
今回の参議院選挙で自民党内の右派の勢いは地に落ちたと言ってもいい感じ。
2.行き場を失った中道右派の再集結はどこに?
と、まぁ、比較的既知のお話をつらつらと書いてきました。
(当たり前の内容でつまんない、という人も多そうですが)
単純化すると、
55年体制が発足して、
左側から右側まで幅広くカバーしていた自民党が隆盛を極めたけれど、
ここ10年くらいのあいだに自民党内の右派勢力が壊滅的になってしまって、
結果的に自民党のカラーとして左派色が強くなったという感じ。
これまで、左、左側、左派、リベラル、
一方では、右、右側、右派、保守、などと表現してきましたが、
全ての話をそこまで単純化して議論できるわけではありません、念のため。
直線で考えても左から右までグラデーションがあることは当然ですし、
実際のところ直線でグルーピングできるような単純なものですらなく、
様々な考え方が平面上(ときに立体的)に拡がっていると考える方が自然です。
今回の参議院選挙において、
自民党内の右派支持層がごっそり抜け落ちたことは前述しましたが、
それらの票のいくらかは国民民主党や参政党に流れたとみて間違いありません。
問題は、それが一過性のものなのか、
それとも半永続的に続いていくのか。
行き場を失ったように映る中道右派路線の政治家や支持者はこれからどうするのか。
いくつか可能性は考えられるわけですが、
仮に、右派勢力(政治家も支持者も)が自民党から離れるとなると、
前述した左右を広範囲にカバーする現実的な政党としての自民党が消滅することもあり得ます。
今回はそのこと、
つまり事実上の自民党崩壊を、
ブログタイトルのなかで「25年体制」と表現しました。
自民党が左派と右派で分裂して、
左派支持層のみが自民党として存続する、という可能性。
そうすると自民党左派のみ単独での与党維持が困難になるので、
事実上の自民党政権は終わりを迎え、左派政党が複数連動する連立政権樹立が考えられます。
本当、これからどうなるんだろう・・・。
3.政治報道におけるメディアのあり方
こういった流れは、おそらくは第二次安倍政権のときにすでに顕在化されていて、
「安倍辞めろ!」と今回の「石破辞めるな!」という正反対の抗議がメディアで大合唱されている事実。
「裏金議員」という表現もいっとき流行しましたが、
こちらも自民党内右派の議員ばかりが吊るし上げられていて、
似たような状況が明らかとなった左派の議員や野党の議員はスルーという現象も起こりました。
こういったメディアのあり方が政治に与える影響はものすごく大きい。
キーワードは、
「公平性」と「納得感」。
長くなりそうなので、
このお話は別稿にて。
といったところで、本日のブログは手仕舞い。
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