審判の質が低下したのではなく、映像の質が向上しただけ

トレード雑記第614弾、

 

審判の質が低下したのではなく、映像の質が向上しただけ

近年のスポーツでは当たり前のように発生する「誤審騒動」ですが、

そろそろ各競技の主催団体が毅然とした対応を示してもいいように感じます。

 

直近だと、高校野球。

 

例の県立高校が、優勝候補筆頭の高校に勝利した一戦。

 

勝利したはいいものの、かなり偏った判定が目立ったとプチ炎上。

 

審判が叩かれまくっている様子。

 

わたしの結論は単純。

 

 

1.映像技術の進化は、人間による一瞬の判断を超えるのは当たり前

2.大前提として審判の質は向上しているけれどそこには限界がある

3.誤審そのものが問題なのではなく、事前および事後の対応が大切

 

現代では、高性能なカメラが開発されており、

高校野球などはありとあらゆる角度からの映像が鮮明に記録されます。

 

スーパースロー映像としてリプレイすることも可能なため、

一瞬の判断に頼る人間の判定が映像技術を上回ることはありません。

 

ブログタイトルに書いたとおりですが、

審判の質が低下したのではなく、映像の質が向上しただけ

 

大前提として、

審判の質は間違いなく向上しています。

 

毎年のように最新のデータを活用して、

最適な行動や視線を勉強しているわけですから。

 

それでも、正確性において映像には勝てない、という事実があるだけ。

 

そういう状況なのに、審判を批判するのは、

あまりにも酷であり、的外れだと思う次第。

 

だからこそ、

考えられる改善策は、

主に2種類の方向性で語られます。

 

ひとつは、「映像技術を導入する」というもの。

 

プロ野球などに近いシステムを導入するという考え方。

 

コストはかかりますが、より競技の正確性が担保できる方法。

 

巨大利権となっている高校野球なら導入も可能でしょ、という気持ちと、

地方大会や、他のアマチュアスポーツはどうするの、という気持ちと、両方あります。

 

言うは易く行うは難しかもしれません。

 

もうひとつの考え方は、

「誤審の存在を許容したうえで、審判の判断を優先すると明言する」というもの。

 

すでに明らかなように、

人間が審判をしている競技において誤審をなくすことは不可能です。

 

だからといって映像技術による機械判定にはまた別の課題があります。

 

で、あれば、考え方はシンプル。

 

事前にも、そして事後にも、

「人間だから誤審はある」といい意味で開き直ったうえで、

「それでもその試合を裁いている審判の判断を優先する」と主催団体が明言する、

毅然とした対応を示す、というのがベストではないかもしれませんがベターというもの。

 

要するに、「審判の威厳」を主催団体が声高に主張する感じ。

 

いつもながら何も声明を発表しないから、

「スルーした」「都合が悪いところは見て見ぬ振りをする」と騒動がおさまらない。

 

そして、こちらもいつもながらですが、

一部の変な人が審判個人を糾弾しているけれど、

そうすればするほどまともな審判がいなくなってしまう悪循環。

 

こういう問題は、審判個人の問題ではなく、

主催団体が矢面に立って「システムとしての限界」を明言すればいい。

 

そうすることで、

審判を守ることにも繋がるわけです。

 

それでもなお非難する人は・・・、

ゼロにはならないだろうけれど、多くのまともな人は納得するはず、たぶん。

 

最後に、

今回のブログは、

誤審を奨励したり、審判のやりたい放題を黙認するものではありません。

 

審判の教育研修の徹底やブラッシュアップ、

誤審への対応(前述のアナウンスメント含む)など、

主催団体としてでき得る限りの必要な措置は講じてほしいと感じます。

 

といったところで、本日のブログは手仕舞い。

 

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