視点の違い-妻は夫に守られる存在か!?

トレード雑記第112弾、

 

視点の違い-妻は夫に守られる存在か!?

今回のブログタイトルは、

今日のブログで書いた「5分足」と「1分足」での印象の違いと、

すぐに話題から消えると思っていたアカデミー賞授賞式における、

クリス・ロックのジェイダ・ピンケット・スミスへの発言と、

ウィル・スミスがロックへ「平手打ち」をしたお話をくっつけた感じ。

 

最初に報道を聞いて、

「すごく難しい、そして考えさせられる問題」

ってツイートしたんだけど・・・。

 

その後も、いろんな芸能人とかがコメントしてたり、

新たなゴシップネタ(不倫とか)が出てきたりして、

せっかくなんでまとめておこう、と思ったわけです。

 

視点の違い、価値観の違い、という意味では、

かなり「良質な教材」だと感じたので。

 

ちなみにアイキャッチ画像は、

両手を後ろに組んだ状態のクリス・ロックに、

ウィル・スミスが強烈な平手打ちをおこなう直前の様子。

 

1.経緯を整理すると。

百聞は一見に如かず、第94回アカデミー賞授賞式の一コマ。

 

 

登場人物は、主に3名。

 

クリス・ロック(プレゼンター、コメディアン)

ジェイダ・ピンケット・スミス(女優、妻)

ウィル・スミス(俳優、夫)

 

①クリス・ロックが壇上からジェイダに「容姿を侮辱」した話を語り掛ける。

②会場に笑いが起こり、ウィル・スミスも笑顔だが、ジェイダは顔をしかめる。

③(映像が反転して)ウィル・スミスが壇上に一直線、ロックに無言でビンタ。

④その後、客席に戻ったウィル・スミスは怒り心頭の様子で過激な発言も。

 

いろいろと論点が複雑だったりするんだけれど、

単純化しないと散漫になるので、日米での受け止め方の違い、

特に「ジェイダ・ピンケット・スミス」に焦点をあてる。

 

なお、①の発言内容が「ジョーク」なのか「侮辱」なのか、

侮辱であればどの程度の侮辱なのかについては、かなり難解というか、

クリス・ロックとジェイダ・ピンケット・スミスの関係性を知らないと、

おそらく判断できないレベルだと思います。

(病気についてロックが事前に知っていたのかどうかもわからないですし)

 

そのため、発言内容そのものについての言及は控えます。

 

2.日米での受け止められ方が正反対?

日本での受け止められ方の多くは、こんな感じ。

 

ウィル・スミスに好意的、同情的で、

暴力それ自体は悪いことだけど、クリス・ロックの言葉の暴力も悪い、

あるいはロックの方が、より悪質である。

 

さらに、妻であるジェイダを守るために立ち上がったウィル・スミスは立派だ。

 

といった感じで、

ウィル・スミス擁護派が多い印象。

 

ところが、アメリカではウィル・スミスを糾弾する論調が多数派であること、

それに対して日本(のメディアなど)では不思議に捉えていること、

みたいな感じの流れだと思う。

 

そこで今回のブログタイトルの後半部分、

「妻は夫に守られる存在か!?」がポイントとなってくるわけ。

 

3.自立した大人の人間をどう捉えるか?

映像を見ると、ジョークか侮辱かはひとまず置いておいて、

明確にクリス・ロックはジェイダに語りかけており、

ウィル・スミスに対して何かを言ったわけではない。

 

反論があるのであればジェイダ本人が反論すればいいわけで、

彼女には意思表示をする権利があるし、発言する「口」も、

なんならロックのところまで行く「足」も、ビンタする「手」もある、

という考え方もまた成り立つわけ。

 

だから、どうして「夫」であっても別の人格であるウィル・スミスが、

しゃしゃり出てきて暴力をふるう必要があるのか?というお話になる。

 

そこには、「妻」を一人の人間として認めていない、

妻は意思表示も発言もできない「夫のおまけ・付属品」扱いなのか、

むしろジェイダを侮辱しているのはウィル・スミスの方ではないか、

といったような話にまで・・・、なり得るわけ。

 

この場合、たとえば子ども(未成年)を相手に言われて、

父親としての行動であれば、まったく話は変わってくるわけです。

 

要するに、「妻を守る夫の行動」という考え方の前提が、

それを好意的、同情的なものとして受け止められるのか、

それとも、妻は守られるべき弱々しい存在で「一人前と認めていない」という、

夫の独りよがりの価値観の押し付け、それは妻への差別であり、

さらにそこから自己満足の暴力行為をしただけ、といった感じで、

前提条件から大きく違っていたりする。

 

個人主義とか自立とか、

そして男女平等とかって、言葉にすると簡単だけど、

すごく難しくて考えさせられるのもこのあたりの話。

 

同時に、ジェイダ自身が「女優」という職業であり、

会場にいたということもひとつのポイントかもしれない。

 

仮に病気療養中で入院しているとか、

その場にいない人物に対する発言だと、話が全然違ってくる。

 

いずれにしても、こういう解釈は、

視点の違い、価値観の違いの際たるものかもしれない。

 

それと、日本では、この3人だと、

ウィル・スミスの知名度が圧倒的で、

クリス・ロックや、ジェイダ・ピンケット・スミスについてほとんど知らない、

という人が多いだろうことも日米での解釈の違いに影響があるのかもしれない。

 

だいたいこの話題のほとんどが「ウィル・スミスの妻」であって、

「ジェイダ・ピンケット・スミス本人」としての扱いがなかったりするので。

 

だから、奥様は旦那様の行動を内心では喜んでいるだろう、

みたいな、それこそ悲劇のヒロイン的な扱いをしてしまっていたりする。

 

蛇足-結局なんで手を出したんだろう?

また、わたし自身、授賞式全部の映像を見たわけではなくて、

紹介した例の短い映像だけしか見ていないのだけど、

ウィル・スミスが殴り掛かる理由が、あまりよくわからない・・・。

 

仮に、平手打ちはせずに、その後の発言(暴言も含まれるけど)だけを、

客席から壇上に、投げかけたというのであれば、話は全然違ったように思う。

 

会場にカメラが回っていることを理解していて、

キャリアが豊富な俳優であるウィル・スミスによる、

暴力を伴う悪質なパフォーマンスと受け止められても、

仕方ないような気がしないでもない。

 

また殴られた側のクリス・ロックが、

無抵抗で反撃したりする素振りが一切ないこと、

プレゼンターの仕事をプロとして継続している様子などからも、

その場にいた人や映像を見た人たちのなかで、

ウィル・スミスの心象を悪くしているのかもしれない。

 

実際問題、ロックの発言を「笑っていた」ウィル・スミスが、

ジェイダの顔を見て、・・・、壇上に歩いていく、

この、「・・・」の部分の肝心の映像がないんだよね。

 

両者のあいだに会話があったのか、なかったのか、

ウィル・スミスがどういうタイミングで立ち上がったのか、

とか、そのあたりの情報が新しく入ってくると、また解釈が変わるかもしれない。

 

わたし自身、映像を見ないで、最初に文章だけの記事を読んだときと、

実際に映像を見て、(英語なんかほとんどわからないけど)発言内容や、

3者の表情、行動を見ての感想は、ちょっと違ってきたわけです。

 

最後に、醜聞というかゴシップというか、

ジェイダの不倫の話や夫婦関係について、

さらにはウィル・スミスも過去に病気の人を揶揄していた話なんかも、

いろいろと出てきていたりするようだし、

また、「IFもしも」の話として、

プレゼンターが白人だったら、女性だったら、どうなっていたか、

みたいな話も話題になっているようです。

 

ここまで書いてきてなんですが、

結論は、最初とまったく一緒で、

「すごく難しい、そして考えさせられる問題」

だと思います。

 


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