誰かを応援するために、他の誰かを貶さない方が良い
トレード雑記第285弾、
誰かを応援するために、他の誰かを貶さない方が良い
前回のブログの続きのような内容ですが、
わたし自身、いろいろと自戒の念を持ちながら、本日のテーマ。
☆前回の内容
サッカーや野球、将棋や麻雀を「見ている」と、
どうしてもお気に入りの選手やチームに対して贔屓目で見てしまう。
そうすると、
応援にも熱がこもるわけだけど。
度が過ぎちゃうと・・・、
応援しているようで、実はまったく応援になっていない、というやつ。
最近のわかりやすかった事例は、サッカー日本代表。
古橋亨梧選手の自称大応援団。
古橋選手を熱狂的に応援するあまり、
浅野琢磨選手を貶すような論調が目立ってしまった。
さらには代表選出が遠のいたこともあって、
森保監督への批判(≒なぜ古橋を選出しないのか!)に発展してしまった。
おそらく、より正確には、
森保監督(あるいは浅野選手)を批判するための道具として古橋選手が使われた、という感じ。
本当のファン(サッカーのファン、古橋選手のファン、その他の選手や監督のファンを含む)は、
そういった発言は絶対にしないんだけど・・・。
どうしても注目が集まると、
「変な自称応援団」「おかしなファンもどき」「ただのクレーマー」
といった層が大量発生してしまっていたのだと思う。
そして、
最も大切なことは、
選手本人はそういった発言を一切していない
という事実。
当たり前のことなんですけどね。
そして、
「鳴り物入り」で出場した、
6月の親善試合2試合の結果。
エルサルバドル戦では途中出場で得点も決めたし、
ペルー戦では、直接得点には絡まなかったもののオフザボールの動きに「らしさ」があった。
フラットな視点で評価すると、
まずまずの出来だったと思う。
ただし、大活躍して大絶賛というほどではなかったので、
当然のように「微妙~~な」空気になってしまった感じ。
そこまで言うほどのプレーではなかったかなぁ・・・、と。
試合終了後は一転、
今度は古橋選手への批判的意見が出たり、
感情的な「浅野選手vs古橋選手」の自称ファンの言い争いとか出たり・・・。
こういうことになると・・・、
古橋選手が「使いにくい」「面倒くさい(ファンが付いている)」という評判になる。
そうなると・・・、
代表召集から遠ざかることになりかねない。
誰も得をしないし、
古橋選手の応援になっていないことは間違いない。
9月以降、
日本代表のメンバーがどう変化するか、
現時点ではまったくわからないけれど、
あまりいい展開ではないように感じる。
もっと純粋に、「古橋選手を応援する」ことにエネルギーを集中して、
他の人を貶す表現を控えたらいいのに・・・、思わずにはいられません。
もう一つ、
似たような話をすると、
現在オフシーズンの麻雀「Mリーグ」の新加入メンバーのあれこれ。
新チームと、そのチームを含めたドラフト候補はもちろん、
解説、実況、インタビュアーなどについても、そう。
「◎◎さんがみたい!!!」
は、応援だけど、
「△△より〇〇の方が良い・上手い・好き」
(≒△△は悪い・下手・嫌い)
は、一見すると応援のように聞こえるけれど、
他人を貶しているところが「より強調」される批判へと様変わり。
そうすると、
「〇〇さん」の自称ファン・自称応援団の「おかげ」で、
「〇〇さん」の評判が下がっちゃうことにつながる。
そういう観点で考えると、
「まるこを出せ!」もグレーな応援だった感じ。
結局、本人から自身やチームへの批判は慎んでほしいとの発言もあったように、
本人も、チームの他選手も、監督も、それ以外の関係者も、巻き込んで・・・、
「面倒くさいなぁ・・・」って、思われてしまった感が否定できない。
今シーズンで退団になったのも、
通算成績という数字の面以外でも、
自称ファンの声が面倒くさかったのかもしれない、と思ったりもする。
監督批判、チーム批判の旗印として使われていた事実は、
サッカー日本代表批判に使われた古橋選手と同じ構図なので。
応援したい人がいる、というのは素晴らしい感情だけど、
その人を応援するために、他の誰かを貶さない方が良い。
そういう意見は聞いていても、
気持ちいものではないですし。
わたし自身、気をつけないといけないなぁと感じた次第。
といったところで、本日のブログは手仕舞い。
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