新旧「デジタルvsオカルト」論争のゆくえ
トレード雑記第265弾、
新旧「デジタルvsオカルト」論争のゆくえ
ゴールデンウィーク前半は外出したら人の多さに圧倒されて、
後半は・・・、お家でゴロゴロと堕落した生活をしていました。
将棋、麻雀、メジャーリーグ、海外サッカーなどなど、
YouTubeとかを見ながらボケ~っと過ごしていたわけですが、
外の気温の暑さと同じくらい熱かったのが、麻雀界隈のお話。
GW最終日にまとめて書いた内容と、
その後の動向を踏まえて加筆した感じで、
1.新旧「デジタルvsオカルト」論争のゆくえ
2.「選手強制入替」レギュレーションの功罪
3.「タイトル詐欺」有料コンテンツの功罪
を公開します。
今回のブログでは、1.について、
次回以降、2.3.を随時公開予定となります。
あらためまして、本日のテーマ。
-新旧「デジタルvsオカルト」論争のゆくえ-
話を思いっきり簡略化するために、
旧来(20~30年くらい前)の「デジタルvsオカルト」論争を簡単に紹介して、
現在の状況とこれからの展開を想像します。
①旧「デジタルvsオカルト」論争
ゴールデンウィークに盛り上がったのは、
例のごとく竹書房(麻雀最強戦)のTwitter。
デジタルの代表格でMリーガーの小林剛プロと鈴木たろうプロの対談記事。
(有料記事なので詳細には触れません)
ちなみに、麻雀における「デジタル」とは、
全136枚の麻雀牌を数理パズルのように捉えて、
確率論、統計学、データ解析など数学的な処理を駆使する考え方。
そこに個人的な感情を介入させる必要はない、という立場。
一方の「オカルト」とは、運の要素が強い麻雀だからこそ、
勝負論、ツキ、運、ジンクスなどを意識し「運を高める」行動を肯定的に捉える考え方。
感情むき出しで、
「思いが強い方がツモれる!」
「安い仕掛けは運が細るからやめろ!」
「〇〇が鳴いたことで場の流れが変わった!」
みたいな感じ。
簡単に旧来の麻雀界をふり返ると、
20~30年前くらいは「オカルト」全盛期。
正確には「デジタル」(≒確率論など)の重要性が浸透していなかったアナログな世界。
若かりし日のコバゴーさんやたろうさんなどが、
「オカルトバスターズ」を結成して、実績を積み重ねることでデジタルの地位を確立させて、
現在ではむしろデジタルが麻雀界の主流になった感じ。
そのため「デジタルvsオカルト」論争は、
ある意味では立ち消えになっていた、はず。
が、久しぶりにみた記事で、炎上騒動。
②騒動の理由
炎上騒動になった理由は、大きく3点。
1.発言者のMリーグでの成績が芳しくない
2.後輩へのダメ出しになってしまった
3.時代の流れについていけていない
ひとつ目が思いのほか重要で、
内容よりも「今」「コバゴー&たろう」が言ったということが大きい。
麻雀プロだから、成績を残してなんぼの世界で、
そうやって自分たちが相手(≒大した実績のない先輩たち)を黙らせてきたのに、
今度は自分たちがその立場になってしまっているということ。
(過去の実績に縋ったり、ひけらかし始めたらいよいよ老害となる)
そしてその内容も後輩へのダメ出しになってしまっていることも大きい。
仮に、Mリーグ公式解説の土田浩翔プロとか、
元Mリーガーの前原雄大プロ、沢崎誠プロなど、
先輩へのダメ出しが中心であれば、また違った展開になったはず。
(別のかたちで炎上していたかもしれませんが)
そもそも旧来の「デジタルvsオカルト」論争は、
あくまでも麻雀プロ同士において、
「雀風」や「麻雀への取り組み姿勢」の違いがぶつかった論争だったわけ。
余談だけど、
たろう派と達也派でプロレスしていた頃が懐かしいです。
それが今回の騒動では、
選手同士の姿勢を超えて、「実況」スタイル、「麻雀番組」のあり方、
さらには「観客」の気持ちをも巻き込んだかたちの論争になったので、
旧来のものとは異なる炎上案件になってしまった感じ。
そのあたりが、
時代の流れについていけていないというか、
自分たちの発言力、影響力が大きくなった現在の立ち位置を、
ある意味では軽視してしまっているのかもしれない、と感じた次第。
③新「デジタルvsオカルト」論争
さて、Mリーグが発足して以降、
麻雀界は急激に新しい時代の流れに飲み込まれることになりました。
そこでは新しい「デジタルvsオカルト」論争なるものが繰り広げられています。
実況を担当する日吉辰哉プロの影響、貢献が大きいですが、
サッカーや野球に代表される、いわゆるスポーツ実況のような感覚の、
選手やチームの「ストーリー」や「ドラマ」を強調した実況です。
日吉さんの実況は、
旧来のオカルトとは似て非なるもので、
ファンをはじめリーグ全体を盛り上げるためのストーリーテラーです。
「チームのために」「生まれた子どものために」「天国の〇〇のために」、
頑張ったところで、ツモが良くなることはありません、みんな知っています。
「バースデー登板だから」「仲間やファンが後押ししてくれたから」「ラスト1枚に賭けたから」
ツモれるわけではありません、みんな知っています。
「タキヒサコンビだから」「るみあき姉妹だから」「しょーまつだから」
ポイントが加算されることはありません、みんな知っています。
「多井松ヶ瀬のRMU対決だから」「黒沢内川の因縁の西だから」「ひな祭り女流卓だから」
派手な手が入るわけではありません、みんな知っています。
「以前〇〇の牌で放銃したから」「△△選手とは相性が悪いから」「風が吹いていないから」
負けるわけではありません、みんな知っています。
それでも、そういったストーリーやドラマを語ることで、
麻雀そのものに加え選手の魅力を発信しているわけです。
新時代の麻雀番組へ
漫画や映画など創作物での麻雀は、基本的にすべてオカルトです。
そこでは「オカルト≒ストーリーやドラマ」を魅せているわけ。
また、テレビやYouTubeなどの放送対局としての作品、
「麻雀番組」は基本的にオカルト(≒ストーリー、ドラマ)志向ですから、
そのことは大前提として理解しないと、おそらくビジネスになり得ません。
そういう意味では、Mリーグもまたオカルトそのものです。
オカルトを、
非科学的で忌み嫌う取るに足らないものとする考え方から脱却して、
麻雀や麻雀プロの魅力を伝える有効な手段と認識する必要があります。
要するに、デジタルを追求しつつ、
オカルト要素を否定しない姿勢が、
新しい麻雀界に求められる麻雀プロの理想像ではないでしょうか。
最後に、
コバゴーさんやたろうさんとは異なるけれど、
一部のデジタル派の麻雀プロに苦言を呈するとすれば、
「運がなかった、流れが悪かったから負けた」と言うオカルトより、
「期待値が収束していないだけ、たまたま下振れているだけ」みたいな、
言い訳がましい現実逃避の方が麻雀プロの美しさを毀損していると感じます。
なぜなら、オカルトは、勝ったときも「幸運の女神」に感謝するけれど、
デジタルは勝ったときは実力、負けたときは統計学ガァーってなるから。
といったところで、本日のブログは手仕舞い。
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