将棋のマスク問題が進展
トレード雑記第218弾、
将棋のマスク問題が進展
昨年10月28日対局における佐藤天彦九段のマスク未着用による反則負けについて、
日本将棋連盟が1月12日付で「佐藤天彦九段の不服申立書に対する裁定」を公表しました。
経緯は、以前のブログで確認したとおりです。
佐藤天彦九段(以下、天彦九段)からの「要望→裁定結果」は次のとおりです。
①反則負け判定の取り消し → 不採用
②対局のやり直し → 不採用
③臨時対局規定の適用基準の明確化、規定の趣旨に反するルールの修正 → 継続的に議論を行う
④臨時対局規定の改廃時期・条件の明確化 → 継続的に議論を行う
わたし個人としては、
裁定結果は至極妥当なものだと感じています。
今回の裁定に時間を要した(約2カ月半)理由は、
A.報道発表当初、世論の一部から天彦九段に同情的かつ連盟に批判的な言論がみられた
B.批判的論者のなかに国会議員など公職に就く人が含まれていた
C.天彦九段の不服申立書が法律的な論点を提示してきたため、対応に万全を期した
などが考えられます。
たとえば、C.については、
将棋連盟発表の裁定に添付されている「調査報告書兼意見書【要旨】」のなかで、
マスク不着用時間を〇時〇分〇秒から△時△分△秒までの時間などと、
中継されていた映像を正確に計測し、マスク不着用時間は「計62分35秒」と明記されています。
そもそも臨時対局規定が明文化されているなかで、
かなり無理筋な不服申し立てだったことに対して、
丁寧かつ慎重に、そして完璧に論破したという感じです。
裁定を受けて天彦九段がどのような発言をされるかに注目が集まりますが、
一定の結論は出たものと考えていいのではないでしょうか。
おまけ-騒動のなかで
ここからは、少しだけ毒を吐く感じになります。
上記A.やB.についてですが、
新型コロナウイルスによる感染症への捉え方、
マスクをめぐる議論などについては「正解の見えない議論」が続いています。
一向に終息しそうにない問題でもあり、
目に見えるものも見えないものも含めて、
フラストレーションが溜まる社会情勢であることは間違いありません。
そのようななかでの「将棋でマスク不着用による反則負け」というニュースは、
良くも悪くも注目を集めるテーマだったかもしれません。
そのため、ニュース速報レベルでの報道から、
上記A.のような天彦九段同情論&将棋連盟批判が出てくることは理解できます。
そのほとんどは、情報が開示されるにつれ、
冷静な反応が中心になったように感じます。
なかでも「明文化された規定」の存在は感情論によるバカ騒ぎを抑制し、
「長時間にわたるマスク不着用の映像」(対局のライブ配信)の存在が決め手となりました。
余談ですが、
同時期に話題となった高校生の駅伝大会におけるトラブル(誘導ミスの有無など)、
わたしは高校側(高校生ではなく監督や校長など学校の対応)に批判的な立場でしたが、
その理由は「明文化された規定」を提示して主張していない、というものでした。
先導係の役割に誘導があるのかないのかみたいな議論は印象論ではなくて、
先導係の役割について明記された規定なり要領なりを提示すれば済む話だと思いましたが、
最後まで出てこなかったこともあったので、厳しい書き方になってしまいますが、
一部の世論の同情を集めることを主目的としたパフォーマンスで幕引きとなりました。
さて、話を戻して、
今回の騒動のなかでは、
一部に残念な言及も目立ちました。
たとえば「将棋ライター」を称するとある人物によるSNS上でのアンケート。
天彦九段擁護論者のひとりですが、
断定的な情報を取捨選択したうえでの「面白おかしく」どちらを支持するか、
再戦は望ましいか、などなど、素人の冷やかしレベルの情報発信は酷いものがありました。
数少ない将棋ライターのおひとりですし、
緻密な対局データの分析記事など読み応えのある文章も少なくないので、
残念としか言いようがなかったです。
また、上記B.の国会議員など公人のなかでも、
ルールに対して揶揄するようなトンチンカンな発言をSNSで発信されていたのも絶句でした。
そもそも国会議員の仕事は、
新型コロナウイルス感染症とどう向き合うか、
国民の不安や恐怖をどう解消して安心安全な社会を構築するか、
そういった活動だと思うんだけど・・・。
不安や恐怖のなかでの予防策の一環として作り出されたひとつのルール、
「マスクの着用」(多くの施設や店舗で実質的に採用されている)を馬鹿にすることではないはず。
SNSを使って一団体である将棋連盟を名指しで批判するのではなくて、
「マスク着用を声高に言わなくてもいい社会」に向けた活動をやれ、ということ。
ぶっちゃけた話、
わたしを含めて「自宅外でマスクを着用している」人のほとんどすべてが、
「マスクは万能」「コロナをシャットアウトできる」なんて思っていない。
それでも、自分たちができる限りの予防策を取り続けるしかない。
そういう国民の涙ぐましい努力のひとつが「お互いにマスクを着用しましょう」であって、
その前提にある感染への不安や恐怖(自身の健康に加え家族の感染や隔離、仕事が中断する恐れなど)
をわかっていないんじゃないかなぁ・・・。
マスク着用or不着用という表面的な話じゃないと思うんだけれど。
追記。
「マスク不着用による反則負け」の2例目が発生したようですが、
そちらについては論評の対象にしづらいため今回はスルーします。
といったところで、本日のブログは手仕舞い。