戦国時代の主従関係
トレード雑記第359弾、
戦国時代の主従関係
先週大河ドラマ『どうする家康』が最終回を迎えました。
毎週楽しみにしていた視聴者も多いと思います。
どうでもいい話ですが先日電車のなかで、
本多正信(役:松山ケンイチ)について話をしていた人がいたので、
歴史好きとして聞き耳を立ててしまいました。
(実際は名前が聞こえただけで内容はわからなかったけど)
そこで、今回のブログタイトルです。
戦国時代の主君と家臣の関係について、
前提となる知識があるかないかで見方が変わると感じたので、
ブログのネタにしてみよう考えました。
歴史好きのひとりごとくらいの感覚で読んでいただければ幸いです。
(歴史学者ではないので、正確性は一切保証できません)
前述の本多正信は、簡単に書くと、若いときに家康のもとから出奔して、
後年に出戻ってきた人物で、家中でも、後世からも評価がわかれる人物。
有名なところだと、真田昌幸(信之、幸村の父)もまた、
「表裏比興の者」と言われ主君を次々を変えた裏切者的な評価がある人物。
他にも主君をたくさん変えた戦国武将はたくさんいます。
こういった戦国武将の評価は、
いわゆる「天職」を探し続けて花開くサクセスストーリーにもなれば、
信用のおけない裏切り者としてダーティーなイメージにもなるなど、
いろいろな意見が出ることになります。
(最期に成功していたか失敗していかが大きいかもしれません)
戦国武将を評価するうえで、
大切な前提条件となるのは、
主君と家臣の関係は一種類ではない
ということです。
なんとなく現代の会社をイメージして、
大名≒社長、家臣≒従業員を想定してしまうので、
出奔や裏切りにはネガティブなイメージがあります。
また、「主君に忠義を尽くして討死」みたいなシーンが、
美談として語り継がれていることもそういったイメージを強めているかもしれません。
もちろん社長と従業員の関係のように、
直接の雇用関係として語ることができる武将も少なくないですが、
他にも主君と家臣の間にはいくつかの代表的なケースが見受けられます。
①グループ企業における親会社子会社のような関係性
②出向や転籍のような異動
③取引先などへの就職(経験を積んだのちに離職を含む)
①は、先ほど名前を出した真田昌幸のケース。
大企業の一員だけど、小企業の経営者でもあるイメージで、
小企業の真田家が、大企業(武田家)の倒産などによって、
主要取引企業を変えながらもなんとか存続を図るイメージ。
要するに、家臣の顔と主君の顔と両方を併せ持つような存在で、
小大名や国衆、地侍の頭領みたいなイメージでしょうか。
「主君(親会社)のために」といった家臣の意識が強い人物もいれば、
「主君(親会社)より自社の発展」という意識が強い人物もいます。
②は、わかりやすいのが明智光秀のケース。
なお、光秀が織田家に加わったときには、
それなりの実力があったと考えられるので、
①と②の複合系みたいなイメージかもしれません。
③は、いわゆる「人質」のケース。
人質と書くとネガティブなイメージが先行しますが、
芸能人の子女がテレビ局などに就職するパターンや、
経営者の子どもが取引先企業に就職して経験を積んでから、
親の会社を継ぐといったパターンはそこまで珍しくありません。
そこでの経験や人脈が後々活きることになるので、
家康も昌幸も幼少期には人質を経験しています。
他にも、
派遣会社(≒忍者、傭兵集団など)のような集団や、
旅人(武者修行をする剣豪みたいなイメージ)など、
多種多様な関わり方があったのは想像に難くありません。
そういったことを考えながら、
歴史小説や大河ドラマなどをみると、
「この人物は今どの立場で発言したり行動しているのか!?」
などといった想像力が膨らんできます。
といったところで、本日のブログは手仕舞い。