国葬に想うこと、ふたつ

トレード雑記第170弾、

 

国葬に想うこと、ふたつ

ひとつは、エリザベス女王の国葬に関連して。

 

率直な気持ちは先日のブログで書いていますので、

そちらをご一読ください。

 

エリザベス女王国葬に想う

 

エリザベス女王の国葬のあり方については、何も言うことはないですし、

あらためて、一つの時代が終わったなぁという気持ちがこみ上げてきます。

 

実施前にあれこれ書くのが憚られたので、終わったところで、少しだけ。

 

日本からの参列者は天皇皇后両陛下となったんだけど、

どなたが参列するのかって話のなかで、岸田文雄首相が検討するという話題が出ていた。

 

天皇陛下が参列されるのに、しゃしゃり出て失礼だ、とか、

国家元首あての招待状2名分なんだから、呼ばれてすらいないだろ、とか、

馬鹿にしたような論調が多かったように思うんだけど・・・。

 

検討するのは当然でしょ!?

何がダメなの、非難される必要がどこにあるんだろうか!?

 

イギリスにおける国家元首の崩御、交代は70年前に遡るわけだから、

時代背景を考えても、前例なんてないに等しいし比較対象も想定しづらい状況。

 

かろうじて比較ができるかもしれない事例は、

昭和64年、天皇陛下の崩御による「大喪の礼」(たいそうのれい)くらい。

 

大喪の礼におけるイギリスからの参列者は、

フィリップ殿下(エディンバラ公爵フィリップ王配)とダグラス・ハード外務大臣のふたり。

 

王配というのは王(女王)の配偶者という敬称なので、国王(King)とは異なる格式。

 

おそらくは妻である国家元首(エリザベス女王)の名代として参列されたのだと思う。

(イギリス王室の序列について深入りするとボロが出そうなので、書きませんが)

 

つまり参列者2名は、王室と政治家が各1名という組み合わせ。

(ハード外務大臣は、引退後に男爵に叙勲されたけれど王室とは異なる)

 

わたしは日本の皇室についてもイギリスの王室についても詳しくないけれど、

ざっくりとした一般論として、今回のエリザベス女王の国葬に対しては、

大喪の礼のときの参列者2名と少なくとも同じくらいの格式のある方が参列することになるだろう、

とは考えたわけ。

 

もちろん、在位70年のエリザベス女王の国葬ですから、

文字どおり国家元首である天皇陛下が参列されるのが、一番しっくりくるけれど、

世界の情勢(コ〇ナや戦争など)やその他いろいろな事情を考えると参列者の選定は、

難航してもおかしくはないわけです。

 

参列者が確定するまでの時系列はわからないけれど、

岸田首相が参列を検討するのは不思議ではないし、むしろ検討しなきゃダメだと思う。

 

既に書いたように、皇室と政治家という参列者の組み合わせも十分に想定できうるわけだから、

政治家としての参列が、先の事例と同格または格上を想定すると、外務大臣か総理大臣になる。

 

もちろん、天皇皇后両陛下が参列することが確定した後に、

「わたしの方がふさわしい」とか言い出していたとしたら、まったく別のお話になるけれど・・・。

 

また、岸田首相が参列を検討していたことに関連して、

そして結果的に参列しないことになったんだけど、それに伴い関係省庁の仕事が増えて不満だ、

みたいな目を疑うレベルの記事もあったりする。

 

エリザベス女王が崩御するという、実質的に前例のない出来事が起こったわけで、

そのことで調整やらなんやら仕事が増えるのは当たり前、少々の混乱も当たり前、

時間も限られているなかで、失礼のないようにと参列者を検討するのも当たり前、

まぁ一部の人間の愚痴を誇張して、大きく報道しているだけだと信じたいけれど。

 

なんだろうなぁ・・・、国葬そのものへの議論ではなくて、

とりあえず政治家(この場合は岸田首相)を批判したいだけになっているようで、

怒りとか悲しみとかを通り越して、酷いなぁ・・・という気持ちにしかならない。

 

あまり大きな声では言えないけれど、

メディアや、そこでのコメンテーターの発言って・・・、

ノイジーマイノリティみたいに感じるときが、そこそこある。

 

そういったノイジーマイノリティの成れの果てが、

いわゆるクレーマー。

 

批判はしてもいいけれど、

もう少し的を射た批判をしてほしいなぁ。

 

そして、ふたつ目。

 

と、思ったけれど、

長くなっちゃったので、続きは後日。

 

といったところで、本日のブログは手仕舞い。

 


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2件のコメント

  • お疲れ様です。
    国葬に関わる部分は、
    おのおの考え方の違いがあるので、
    そもそも議論をすれば
    最初から拗れることはわかることですよね。
    外交的な視点で見る人、
    関わる人物についての視点で見る人、
    簡単ではないことはわかっているからこそ、
    各方面へのネゴシエイターが必要なわけで・・・
    と、この話題はここまでにしておきます、
    長くなりますのでw
    話は変わりますが、
    マスコミのコメンテーターの位置づけは
    私の中では、
    「各放送局の方針やプロパガンダに沿って
     各局にとっての考えを代弁する都合のいいガヤ」
    です。
    これこれだからこう、と論理的な議論が出来る人物の
    少ないこそ少ないこと。
    見ていて辟易します・・・
    もう、テレビ局の存在意義すら疑問に思う今日この頃です。
    それでは2つ目の記事を想像しながら待っています。

    • お疲れ様です。
      2つ目、あまり大した記事にはなりませんでした、
      ご期待なさらずにお待ちくださいw

      あと、すでに書き上げてはいるのですが、公開の順番が前後しますので、
      次回は別記事になります。

      さて、ネゴシエーションの重要性、ネゴシエーターの存在、
      なかなか日本では広がりませんよね・・・。

      あとはスポークスマン(報道官)も必要な役職かなぁと。

      コメンテーターは・・・、お仕事ですからねw

      方針に則って話を展開するのは当然のこと、
      なんなら(一言一句は無理でも、流れを示した)台本もあるかもしれません。

      だからダメ、というものではないかもしれませんが、
      そういうものだと理解したうえで受け手側が賢くならないといけませんね。

      テレビの存在意義は、年々薄まってきているように感じます。
      (地上波だと、すでに災害時の緊急速報がメインになりつつありますw)

      連休が多いので相場が短く感じますが、
      1日1日大切に過ごしていきましょう!

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