柔軟対応による進化
トレード雑記第139弾、
柔軟対応による進化
次年度の麻雀「Mリーグ」ドラフト会議が、
当初の生放送なしから公式YoutTubeで生放送(2022年7月11日19時予定)が決定しました!
当初は1チームのみの指名だったこともあり、
他の7チームの関係者・ファンにそこまで重要なコンテンツとみなされていなかったのか、
生放送の予定はないといったアナウンスだったのですが、
その後、もう1チームでメンバーの入れ替えが決定したことで、
2チーム3名の指名がおこなわれるドラフト会議となったこともあって、
SNSなどによって放送への強い要望がファンからあがっていました。
それらの声を受けての主催者による柔軟対応ですが、
こういうファンサービスにプラスとなる対応は率直にうれしいものです。
ちなみにMリーグのドラフトは「ウェーバー制」なので、
指名がかぶって競合することはなく、順番に指名して交渉権が都度確定していくスタイルです。
今回だと、
U-NEXT Pirates(1人目指名)、KADOKAWAサクラナイツ(1人目指名)、
U-NEXT Pirates(2人目指名)、という順番ですね。
といった感じで、
近年の麻雀業界をめぐる柔軟な対応について、
いくつかの事例をご紹介。
ひとつは「麻雀最強戦」について、
もうひとつは「シンデレラファイト」について、
いずれもAbemaTVやYouTubeで生配信されているコンテンツ。
どちらも麻雀というか「競技麻雀」のフットワークの軽さみたいなところが、
いい方向に回っていると感じられるので本日のネタに。
なお、「麻雀」と「競技麻雀」の違いはニュアンスですが、
われわれ素人が仲間内とかでやるのはごくごく普通の麻雀で、
プロ雀士などがたとえば私語厳禁などを含む厳格なルールのもとでおこなうのが競技麻雀。
1.麻雀最強戦におけるオーラスの攻防とルール変更!?
Twitterなんかで話題になっていたけれど、
珍しい事態が発生して、そこで面白いかけひきが見られたのが、
先日2022年6月25日にAbemaTVで生放送された麻雀最強戦。
ちなみに、ちょうど2か月前に、
いろいろな競技における考え方を「それぞれの美学」としてブログにしていました。
そのなかで麻雀は「緩い美学」として紹介していますが、
今回のテーマの土台となりますので、未読の方はぜひ併せてご一読ください。
①.麻雀最強戦での出来事
今回ご紹介するのは、2022年6月25日に放送された「麻雀最強戦2022」での出来事。
麻雀最強戦は、『近代麻雀』(竹書房)主催のタイトル戦で、
1989年にスタート、プロ雀士は基本的に所属団体の垣根を越えて参加が可能で、
さらにはアマチュア雀士も予選等を勝ち抜くことで参加できる大きな大会として、
麻雀界に広く定着しているタイトル(タイトル名:最強位)です。
近年の最強位は、
瀬戸熊直樹(2021)、多井隆晴(2020)、鈴木大介(2019)、近藤誠一(2018)、
と、いわゆるMリーガーのトッププロ3名と、
著名人枠(アマ)で出場の鈴木大介九段(将棋棋士)、
という優勝者になっています。
プロ・アマの出場者が約1年を通じて予選をおこない、
12月に決勝戦をおこなう流れになっていて、今回の6月25日はいわゆる予選の位置づけです。
イメージとしては、今回の対局は地区予選という感じで、
ここで勝利すれば年末開催される全国大会への切符が手に入るという対局。
その地区大会決勝戦(トップのみ全国大会への出場が確定)の、
最終局(オーラス)でかなりレアケースな状況が発生しました。
詳細については、すでに主催者から経緯説明がなされているので、
ここでは、ざっくり、本当にざっくりとご紹介。
ちなみに対局者は全員がプロ雀士、
それぞれの競技麻雀団体のタイトルホルダーを集めた対局放送なので、
知名度の差はあれど全員トッププロといっていいレベルのプロです。
最終局開始前、
トップ目と2着目の点数差が小さくて、
流局(誰も上がれなかったとき)に、
テンパイ(あと1牌で上がれる状態)か、ノーテン(上がれない状態)か、
という実質最低得点差でもトップが入れ替わる可能性があるという状況。
そして痺れた最終局の結果は、流局。
親番の人から座った席の順番にテンパイorノーテンを表明するというのが、
麻雀のルールなので、手配を開けるor開けないの順番は、
トップ目で親番の人、以下、2着目、4着目、3着目、の順番だったわけです。
トップ目の選択。
トップ目のプロは自分がノーテン、2着目がテンパイだと、
それで順位が変わって地方大会敗退となるので、
最低でもテンパイ(本当は上がった方がなお良し)という手組みをするんだけど、
残念ながらノーテンになってしまった感じで、伏せる以外の選択の余地はなし。
2着目の選択。
2着目はもちろん上がればトップになるのだから上がりを目指したわけで、
結果的にテンパイという状況。
当然、手牌を開ける選択になる。
4着目の選択。
座り順で3番目、点数的にはラス(4着目)のプロが、
手牌を開けるか伏せるかで・・・、止まってしまった。
放送対局なので、テンパイしていることは周知の事実。
テンパイしていても伏せる(=ノーテン宣言)ことができるのが麻雀のポイントで、
そこでの点数差や着順が自分にとって有利なように選択していいことになっています。
ただ、この場合、
4着目のプロは、どちらを選択しても4着確定。
だけど、手牌を開ける(=テンパイ宣言)と1着目のプロがそのまま1着、
手牌を伏せる(=ノーテン宣言)と1着目と2着目が入れ替わることに。
(1人テンパイと2人テンパイとでテンパイ料が変わるので勝利者が変わる)
で、手が止まったわけ。
止まったうえに、
3着目の人に何か語り掛けて意見を求めるような映像が流れて、
そこに運営者の声が映像のなかで聞こえてくる、みたいな感じになったんですね。
その後、運営者の声に従い手牌を開けたことで、
最終局前の着順から変化なく、そのまま決着がついた感じ。
なお、3着目の人はノーテンだったので、
選択の余地はなく着順への影響はなし。
②.ポイント
ポイントはいくつかあるけれど、
大きなところは次の3点。
ひとつ目:敗者が勝者を決める状況
4着目の人がトップと2着目を決定する権利がある、
言い換えると、どちらかを敗退させる権利があるということ。
それは権利であると同時に義務でもあるので、
微妙な人間関係の問題にも発展しかねなかったりします。
先日のブログで書いたとおり、
勝ち目のほぼない4着目の人にとっては「緩い美学」を持っていて、
トップ目と2着目で直接対決してくれと考えていたのに、
まさか自分のテンパイorノーテンで勝者が決まってしまう状況になってしまった。
(厳密にはトップ目テンパイによる次局勝負で点数差を詰めるためのテンパイ手組みです)
今回は運営者の声(≒裁定)によって手牌を開けたかたちになったけれど、
微妙な問題として尾を引く可能性もあった感じ(← 後述するけれどこちらも解消)。
それは、麻雀は基本的に4名の個人戦なんだけれど、
プロ雀士の所属団体は複数(主要団体3~5つ)あるので、
自分が所属する団体の人を勝たせたor負けにしたなどになればあらぬ疑いをかけられるかもしれない。
ふたつ目:運営者による介入
この点も賛否があったようですが、
4着目の人の手が止まったところで、
慌てて駆け付けた運営者の一人が手牌を開けるように指示したというもの。
そこでの判断基準は、
①4着目の人がすぐに行動せずに3着目の人に相談(らしき発言)をした
②相談(らしき発言)に対しては主催者として裁定する必要がある
③放送対局の特性上テンパイは明白で、ノーテンによる勝者入れ替わりは物議をかもす
というもの。
今回の対応は、ベストアンサーだと思う。
②と③を瞬時に判断できるのが主催者としての腕のみせどころ。
映像では声だけだったけれど、発言の主は特定されているし、
発言者自身がTwitter等でも丁寧に状況説明と解説をしていたりする。
どちらかというと問題にすべきは①の対局中の私語(?)だと思うけど、
こちらも対局者本人(4着の人)がインタビューで丁寧に答えている。
(その後、対局者にペナルティなどはなかった模様)
このあたりは次に見るルール改定とつながるけれど、
柔軟な対応を発動してのおとがめなしといった感じ。
みっつ目:迅速なルール改定
正確にはレギュレーションの追加だけど、
今回のレアケース(最強戦が1989年に開催して以来はじめてのケース)に対して、
6月30日、つまり対局から5日後に運営として迅速な対応を示したわけです。
“最終局では、(親番ではない)「子」がテンパイしていた場合は、
伏せる(ノーテン宣言)ことはできないというもの。”
テンパイorノーテンの宣言は、
戦略上いろいろあるところなので対局者の判断に委ねられていたわけだけど、
そこをルールとして制限してでも運営の迅速化、透明性を優先したわけですね。
とはいえしっかりとルール化することで、
対局者が非難の的になることは今後なくなります。
こういう柔軟な対応ができるのが、競技麻雀の良いところだと思います。
と、ここまで書いてきて、すでに3000字オーバーw
もうひとつ「シンデレラファイト」については、
ブログを前後編にわけるかたちで、後日あらためて公開します。
といったところで、本日のブログは手仕舞い。
追記。
昨夜まではタイムリーな話題だと思っていたんだけれど、
今日のお昼にはそういう気持ちは吹っ飛びました・・・。
とはいえ、
状況が状況だけに、真偽不明の情報も混ざっていそうなので、
慌てて飛びついて文章にすることは避けようと思っています。
そのため、本日のブログネタは、
まったく緊張感のないものになっていますが、
ご理解ご了承いただけると嬉しいです。
安倍元首相、お亡くなりになりましたね。
ご本人は本当に無念だったと思います。
これから数日、犯人対しての断罪、犯人の生い立ち、
奈良県警の警備不備に対する非難、
陰謀論などいろいろな切り口でメディアが報道すると思います。
私はそんなことはどうでもよくて、
人の命のかけがえのなさを理解できない人間が増えたことが
本当に悲しく思えてしまいます。
朝、元気な姿で出かけた家族が突然帰らぬ人となる・・・
これだけの絶望や失望、悲しみ、言葉では言い表せないほどの
出来事があるのでしょうか・・・
日本は少子化だとマスコミは頻繁に報道します。
確かに人口が減っていくことは大きな問題です。
でも私はその裏にある一つの事実、
失うものがない人間が増えることのほうがとても恐ろしいことだと
思います。
社会が貧しくなると、自分が生活するだけで精いっぱい・・・
そのために結婚しない人間が増え、パートナーや家族のない人が増える。
(当然そのことが少子化を招きます)
大切にしたい、かけがえのない人や家族がいない人間は
いつの間にか命の大切さ、それを失うときに
途方もない深い悲しみを伴うことを忘れてしまう。
自暴自棄になり、孤独な生活を送る人間は
たいてい自己中心的な考えに支配され、
それを社会のせいだ、○○のせいだと責任転嫁に走ってしまう・・・
そうなると周りの人に対する心配りなんかできるわけがない。
それが今の殺伐とした社会の原因の一つだと思っています。
これから命を大切にしない事件は増えていくかもしれませんね。
元首相としての安倍さんの死としてだけではなく、
元気でいた人の命が突然奪われるという理不尽な殺人事件として
本当にショックでしたね。
確か安倍さん夫妻には、お子さんがいらっしゃらなかったと思います。
政治的な部分は抜きにして、昭惠婦人の悲しみは
察するに余りあります。
マスコミには先に書いた部分を強調するのではなく、
もっと普段から命の大切さを報道してほしいと願わずにはいられません。
私は家族のいない独り者ですが、周りの人への心配りは忘れずに
生きていきたいと深く深く考えさせられた1日でした。
ブログの内容に全く関係のないコメントで
申し訳ありません。
今夜はどうも寝ることができず、
パソコンを立ち上げてフラッとブログを確認するとご丁寧なコメントが。
いつもありがとうございます。
そして、内容については100%同意します。
失うものがない人間が増える・・・、
本当におっしゃるとおりだと感じています。
数年に1回程度の割合で、いわゆる「通り魔」「無差別殺人」が発生しますが、
その都度、それなら弱い人間ではなくて、暴〇団や権力者など強い人間に向かっていけよ、
みたいに感じていたのですが・・・。
今回は権力者も権力者、元首相という要人がいとも容易く・・・、
なんか考えさせられることが多いです。
大きな視点だと、社会の仕組み、国家のあり方をどう捉えるか、
直近では犯行動機や計画の解明、昭恵夫人の心のケアなど、問題は山積ですが。
そして言いたいこと、書きたいことは山ほどあるのに、
支離滅裂になってモヤモヤしてしまう感じに襲われています。
もう少し情報が整理できたら、
あらためてブログには残しておきたいと考えていますが、
まずは何よりも安倍晋三元首相のご冥福を心よりお祈りしています。
人並みに不満は多々あれど、
それじゃあどうすればいいのか、
前向きな議論ができる世の中になればいいと痛感します。
>数年に1回程度の割合で、いわゆる「通り魔」「無差別殺人」が発生しますが、
その都度、それなら弱い人間ではなくて、暴〇団や権力者など強い人間に向かっていけよ、
みたいに感じていたのですが・・・。
これも本当にそう思います。
私の考えを書かせていただきます。
今回の件も含め、マスコミや社会風潮が
原因の一つであることは否めない。
人間を勝ち組・負け組などと階層化し、
また上流階級・底辺層など「お金を持つものが正義」
みたいな風潮にも反吐が出ます。
お金を物の価値を測る尺度にしてしまった人には
「それを持つことが正義」という考えに支配され、
他の人より努力したからそうなったんだというプロセスは忘れられてしまう。
何事も行き過ぎてしまったこの世の中、悲しくなってしまいます。
今回の犯人が、本当に思想犯ではないのなら
マスコミはその考えに拍車をかけた、
過度な言い方をすれば、マスコミは今回の銃撃殺人事件の共同正犯だと
言えると思います。
安倍さんの自民党総裁の在籍期間、また総裁の座を退いた後も
安倍さんバッシングを続ける・・・
結果社会に不満を持つ今回の犯人の中で、
「安倍が悪い、安倍のせいだ」という
“思い込み”が生まれたとしても、何ら不思議はありません。
これが弱いものが自分よりさらに弱いものをたたく原因の一つにも
なっているのではないでしょうか。
学校でいじめが無くならない、これもよく耳にします。
大人の社会で公然と人間の階層化が行われ、
平気で弱者をバッシングし続ける。
マスコミがそんな論調をやめようともしない。
子供は大人が思う以上に大人の行動を見ています。
世の中で平然とそんなことがまかり通っていれば、
知らず知らずのうちに子供もそれでいいんだ、と
(無意識に)思うのなら、当然社会の縮図として
子供の社会でも同じことが起こるのだと
私は思います。
不況になると、コスパよくとか合理的に生きること
こういった流れになるのは仕方のないことだとは思います。
ただ過度な合理性はやはりよくはないのかな・・・
赤信号を平気で渡る人の中には、
車が来てないのに待つのは馬鹿馬鹿しい、
ちょっとくらいならいいじゃん。
こんなことを言う人がいます。
見方を変えればこれも合理的なのでしょう。
が、ちょっとのことだからと、
自分を律することのできないは最後には無意識のうちに
いろんなことに「ちょっとくらいいだからいいじゃん」と
それを破る人間に知らず知らずに変わってしまう。
本当に怖いことだと思います。
そうならないために「ルールは守る」ことが大切なのに
この部分は忘れられてしまうことが
合理的になりすぎる弊害だとも言えます。
多くの人が少しでも弱い人に手を差し伸べる(心だけで十分です)
ことが出来るようになれば、今回の犯人のような人間は減るのかもしれません。
長々とまた書いてしまって申し訳ありません。
こういうことは自分のブログに書くべきなのでしょうが、
ブログだとどうしても考え方の発信だけと
一方通行になりがちなので、
すうさんといろんな意見交換できるからと、
つい書いてしまいました・・・
お許しください。
お互い少し気分転換をしてどんよりした気持ちが
拭えればいいですね。
よい週末をお過ごしくださいね。
いろいろと様々な角度かから考えさせられる事件ですよね。
第一報のあと、
本人の経歴、家族が宗教(?)に関連して不幸になった話など、
そして当然というか警護の問題、救急や病院の対応についてなど、
新しい情報が出てきていますね。
まだ整理しきれていませんが、
こういう事件の場合、
「100%〇〇が悪い!」みたいな単純な構図ではないと考えています。
犯行をおこなった本人が悪いのはもちろんですが、
おっしゃるような(ただ煽って数字が取れたらOKの)マスコミ報道、
社会システムの構築という意味での政治家、政治へのとらえ方(そこにもマスコミは噛んでいますが)、
仕事や家庭、子どもや(親など年長者の)介護、教育、・・・、
本当に考えさせられる要素が多過ぎますね。
気持ちがどんよりしているところもそのとおりなので、
週末、気分転換をしようと思っています。
アラフィフさんも、
最近寝る時間を削っての予習復習が続いていたようですので、
週末はごゆるりと、お体ご自愛下さいませ。
あ、アラフィフさんは長文コメントOKですよ!
(短文でも長文でもいずれの場合でも読みやすく内容が明確なので!)
おっしゃるように意見交換と(ご自身のブログでの)意見発信は、
上手く使い分けられたらいいと思います。
お互いよい週末を過ごしましょう!